演劇の世界に入りました時から御縁をいただき、敬愛しております
宮城まり子さんの在りし日を辿るYouTube制作を進めております。

〜第十回以降は、ただいま製作中です〜

 

宮城まり子さんとねむの木学園  語り:奥山眞佐子

第九回 「土地探し」(配信中)

すべてのこどもに教育が受けられる権利があるはずだと考えはじめたまり子さんが、学び続けて動き続けて10年目の1965(昭和40)年7月5日。やっと海の見える砂丘のそばの小高い丘、静岡県浜岡町に用地を決定した時のお話です。

第八回 「障害児の教育、看護についての学び」(配信中)

障害があるのに家庭で育てることが困難なこどもが、住む施設もなく教育を受けられところもなく法律も制度もないことを知ったまり子さんが、仕事の合間を縫って、書物で学ぶと共にアメリカに出かけて「重い障害を持つ子のための小さな家庭的な病院」で夜勤を学ばれた時のお話です。

第七回 アテトーゼの少女との出会い(配信中)

1960年、まり子さんが、ミュージカル「何もしないで出世する法」で、脳性マヒの後遺症のために、手足が自分の思う通りに動かず、自分の思わぬところに動いてしまう症状をもつアテトーゼの少女のお役を演じることになった時のお話です。
この作品には、社会福祉法人日本肢体不自由児協会の御協力をいただきました。

第六回 弟・宮城秀雄さんの死(配信中)

まり子さんのお仕事の数々のご紹介にあたり、東宝株式会社からお借りした貴重な資料もご覧いただけます。たった一人の弟さん、宮城秀雄さん作曲「少年ジェット」の歌詞を、懐かしく思い出される方もおいてのことと存じます。

第五回 ロングランとなった “まり子自叙伝” (配信中)

音楽で生きていこうと弟の秀雄さんと一緒に頑張って…たくさんの困難にぶつかりました。でも、それを乗り越えて自らの歴史を自らが主演する「まり子自叙伝」のロングラン公演に…をお伝えいたします。

第四回 音楽で生きていこう(配信中)

お母様を亡くされた悲しみを抱えながら、まり子さんは優等生総代として卒業式で「叱られて」を歌いました。そして戦争中は、兵隊さんのために歌い、戦後は、弟さんと二人で音楽の道を歩んで… をお伝えいたします。

第三回 まり子さんのお仕事(配信中)

大スターになられた まりこさんの舞台姿や、取材先でのお写真。婦人公論のお仕事で、特殊学級の教室を訪れた時に感じられた文章、お母様を亡くされた悲しみ、東宝株式会社演劇部提供の1958年(昭和33年)芸術座 初主演公演「まり子自叙伝」の主題歌〈夜空の花火〉… をお伝えいたします。


第二回 まり子さんとガード下の靴みがき(配信中)

「もはや戦後ではない」と第二次世界大戦の戦後復興の終了を宣言した象徴的な言葉が記されたのに、親も住む処もなくして食べていくために、生きていくために必死な子どもたち……宮川哲夫の詩「ガード下の靴みがき」を手にした まり子さんの思いをお伝えいたします。

第一回 宮城まり子さんと私(配信中)

私の宮城まり子さんへの思慕、YouTube配信への経緯や思い、「ねむの木学園50周年」運動会の折に書かれたまり子さんの文章をお伝えいたします。

演目のご案内

  • 闇桜
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